2003年06月08日

公務員



私の考えで言うと、
日本がまだ貧しかった頃の戦後の公務員は、
国の中で、労働者の待遇のリーダーとしての役割を担っていたのだと思います。

だけど、日本が充分豊かになりました。

もう、公務員が国の待遇のリーダーの役目は降りてもいいと思うのです。

今後は、就労の機会を、提示するリーダーになればいいと思うのです。

確かに、既に雇用してしまった人を解雇するわけにはいきませんが
今後、新たに雇用する人から変えていけばいいと思うのです。

公務員は国民の税金で養ってもらっている
(こういう言葉は受ける人にとってはすごく嫌な言葉ですよね)

国民に雇ってもらっているわけだから、国民サービス心がない人はいりません。

この国の中に、権利意識の塊が出て来てしまったのも、
この公務員が労働者の待遇のリーダーの役目だった事の弊害が大きいのだと思います。

国には甘えられるだけ甘えちゃえ。
そういうモラトリアムも、その弊害が大きいような気がします。

お金を稼ぎたい人は、民間へ、あるいは自分で稼げ !!

そういう構造改革が必要だと思います。

お金を軽蔑しながら、お金が欲しい。
この二重構造が、日本のモラルハザードを育ててしまったのですね。

お金が欲しいのなら、欲しいと認めて(自覚して)稼ぎなさい。
そういう意識改革が必要です。

なによりも、民間が若年者層の就労教育のコストを担えなくなっているのなら、
公務員として雇えばいいのです。

そのかわり10年しか雇わないよ。
10年経ったら、民間へ行くか、自分で稼ぐんだよ。
そのための勉強、訓練は自分でするんだよ。

もうそう決めちゃえばいいのです。

既得権を既に得ている、現公務員は定年まで今の雇用体制で保証されます。

でも、圧倒的な優遇で雇用されている現公務員も、今よりもっと熱心に働かなきゃいられないですよね。

公務員の上層部も、たたきあげで育てるのではなく、外から、ヘッドハンディングすればいいのだと思います。

高給よりも、人の為になるというやりがいを求める人は、
日本にもたくさんたくさんいます。

障害者の制度は、別くくりで優遇はするけれど
適材適所、本当に役に立てるものは何かを探る姿勢が大切だと思います。

私は、障害とか、生まれつきハンデをもって生まれてしまった人をみんなで支えるのは
当然だと思います。

でも、当たり前ではないのです。
ものの考え方には、起点と方向があって
誰から誰に向かって考えるかで違ってくるのだと思うのです。

健常と呼ばれる人を起点として考えた時、障害を持つと呼ばれる人を支えるのは当然。
でも、障害をもつと呼ばれる人を起点として考えた時それは当たり前のことではないのです。

人間が人間として、努力できる最大の事をする。

それは、障害がある障害がないとかではなく
人それぞれの個性と考えた時にも、同じことだと思うのです。

どんな人も、自分と向き合って自分のできる最大の努力をする。
無理をするのではなく、自分の特徴を生かす。

多分、それはやろうと思えばできるのです。(難しいでしょうけど)

面白がる。笑う事が一番、日本を幸せにすると思ってます。

(平成15年6月8日)

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2003年06月07日

韓国の軍隊



今朝の日経の朝刊の春秋には、韓国の徴兵制の訓練の厳しさが載っていました。
昔人間の日本人には、あこがれる世界なんだろうな。
厳しい規律を教える事の尊さ

私にも答えは見えないけど
本当にそんなものが必要なんだろうか。

確かに今の韓国には、お国を背負う、昔の日本の若者と共通する世界がある。
でも、うまく言えないけど、
韓国の人も、今を経験した後には、今の日本のような世界観がやって来るんだと思うんだ。
人間が成長するように、国も成長する。

どっちが、上とか下とかではないけど、お兄さんお姉さん、弟、妹のように、
早く生まれたもの遅く生まれたものの違いみたいなもの。
私には、やっぱり、ヨーロッパが世界の長兄、長姉って気がする。
アメリカは次男で、好き勝手やってるいばりん坊。

今の日本の繁栄を創ったのは、軍隊のような厳しい規律ではなく、
日本の上層階級に属する世界の人のリベラル(自由主義)観(ものの観方,考え方)
だと思うのです。

上層階級にいる人たちは、軍隊でも、下級に属する人たちより、優遇されてたようですし…。

日経新聞の「私の履歴書」のいいところは、
彼らが、若い頃、どういう世界で、どういう考え方をしていたかということを学べる所にもあります。

お年を取ってから、頭ががちがちになる前の、頭の中や、
ものを見る目の自由だった頃の思い出は
どんなに偉くなってからしっかりと記憶に残るようで、
彼らの若い頃のお話は、本当にためになると思う。

今を語ると、偽善になってしまいがちな人も、若い頃の話は、キラキラしている。

あの素敵なリベラルは、どこへ行ってしまったのでしょう。
私は、ど田舎の、庶民の、女でしかなかったから
そういうリベラルに接する事が出来なかったのでしょうか?

今の日本の指導者層は、頭のカチカチになってしまった、

昔の人間がいっぱいだから、

今の日本の若者を、軍隊みたいな所で、
厳しく鍛えなおしてみたいという欲求を持っています。
(自分はもうお年を召していて、そういう厳しい訓練はしなくていいという甘えから、
その思想は出ています。

自分より若い者は、劣る。
太古から、お年を召した方の思いたがる欲求です。

(平成15年6月7日)
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2003年06月06日

若者に起業訓練を



金曜日だったかな。
政府が、若年者層の失業率の高さを解決するために
若者に起業訓練をというような主旨の記事がありました。

この国の指導者達は、本当に世の中をわかっていないね。

去年の9月17日の日経新聞一面の「あすへの話題」文芸評論家 野口武彦さんの
コラムに(何故か出て来たの、不思議だね。)

『定信の緊縮財政のころ、旗本のどら息子たちの素行はすさまじく悪かった。
…ゆすりや脅しは常習で、強盗団を捕まえてみたら、旗本の次三男だったという話もある。
その背景には、世襲制の社会が固定してしまった事に由来する人事の停滞があった
…御目見(おめみえ)以上の子供は次三男でも、見習い名義で勤務し、
そのうちに就職するレールが敷かれている。
生まれつき有利なのだ。
ところが御目見以下の子供にはそういうチャンスがない。
機会不均等社会が永続していたのである。
…現代の役職手当にあたる御足高(おたしだか)をもらって勤務している親は、
自分では隠居したくても、退職したら収入が減るものだから老齢になってもやめられない。
もういい年になっている丈夫な息子を遊ばせておいて、いつまでも勤続する』

今も緊縮財政のころだね。
今もちょっと違うけど、年配者の雇用を守るために、若者の雇用を犠牲にする。
同じだね。
(これを理解するには、今の日本において、失業率が一番厳しいのは10代〜25歳までの
若年者だそうだということを理解する必要があります)

年配者で、現在職についている高給の人たちの、雇用と給与を保証するために
若年者層の雇用や、若年者層の働き続けるための教育のコストを営利の法人が
負担できなくなっているのです。

これが、日本の構造上の問題なのです。

構造改革は、政府の借金を減らす事ではないのです。
戦後50年以上たって、制度疲労というんだけど、
スムーズに国民間に利益の(お金)配分できにくくなってしまった国の制度や構造を
もう一度きちんと、一番すっきりとした構造に、制度に直しましょうというのが、
構造改革の本質なのです。

小泉さんは、甘ったれた、上層階級のお坊ちゃんだから、
何が本当の問題なのか、多分庶民の目で理解する事は出来ないんだと思う。

だから、一番単純でわかりやすい、
俵百表だったっけ、緊縮財政とか、痛みに耐えるとか
なんだか頑張っているような、感覚が好きなんだと思うんだ。

若者に起業教育?

今の社会は、どんどん複雑になっていて、
一人で仕事をして学べる世界はどんどん狭くなっているんだ。
マクドナルドの元社長の藤田 田(ふじたでん)さんが、
起業をするなら、会社できちんと働いた後の方がいいって。
「競争から、共生へそして共創へ」
社会経験のない若者が、安易に起業しても(まあ学ぶ事はいっぱいあるけど)
共創、プロジェクトのダイナミックさは学べないよ。
もったいない。

起業はリスクがいっぱいあるの。
日本は失敗した後社会復帰する思いやりの制度をまだ確立していない
なのに、その一番厳しいリスクを
安易に若者に押し付けるんだね。

(平成15年6月6日)
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2003年06月02日

自立と依存と相互依存



カウンセリングのメルマガとかホームページを読む事も好きで時々読んでます。

そこで知ったこと。
カウンセリング用語で言う「自立」は一般で言う自立とは違うということ。

「自立」は「依存」の対極にある言葉で、
かつて傷ついた記憶や、傷つくのが怖くて、自分を鼓舞して自立を選ぶ事を言うみたい。

「依存」目立つから、問題視される事も多いけど、
実はこの「自立」は、本人の自覚がないまま「依存」と同じレベルであり、
けっこう大きな問題を抱えているといっていい。

「依存」はまだ素直さがあるよね。
でも「自立」は他を寄せ付けない。
自分の中に他を寄せ付けないところがある。

私の夫は、かなり「自立」している。
私も部分的には「自立」している。

「自立」と「依存」はペアになることが多いらしい。
で、その「自立」と「依存」を卒業したあとに、相互依存(たよりたよられ)という段階に行けるらしい。

素直に順調に育った人は、パートナーに恵まれれば苦労せずに相互依存に行けるけど

私たち夫婦の場合は、夫の「自立」が強すぎて、「依存」をする自分を拒否しているからすごく難しい。

この、「自立」と「依存」の段階にある人たちは、戦いに明け暮れているのかもしれない。
自分を守るために戦う。

自分の殻以外が怖くて、悲鳴をあげる。

現代の日本では、こんな戦いがあちこちで繰り広げられている気がする。

私は戦わないことを学び始めて、相互依存を望んでいる。

でも、夫はまだその段階にいないし、
夫以外の人には、今のところ興味ないし。(出逢ってないだけかもしれないけど)

40代の私は、戦わなくなった自分で、待つことを学ぶ必要があるのかもしれない。
(そりゃあ、本音を言えば、悔しいよ。本当は今すぐにでも幸せになりたいのに)

本も、新聞もドラマも見なかった夫が、ドラマを見るようになってきたんだよ。
すごい進歩なの。
感情を学び始めてきたんだと思う。

でも、自分が目をそらしたい内容が盛り込んであるドラマは、絶対に見ないの。
自分の中の、古傷に触るんだろうね。

私は戦わなくなったけど、素直に傷つく事が多い。
笑っているけど、けっこう傷ついてしまう。
傷つくことも、攻撃の一種なんだよね。

むやみに傷つかない自分、ゆっくり目指します。

(平成15年6月2日)

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2003年06月01日

もう六月



誕生日は内緒だけど(身元がばれるといけないので)
40歳になりました。

へへー、ちょっと複雑。
でも、私は頭の中の時間の進み具合が、早すぎる人間だからもう半年前から
40歳を意識していて、とっくの昔に40歳だったから別にどってことないんだけどね。

40歳って信じられないね。
20年前にもう20歳で、なのに、自分の中の心は全然変わっていなくて、
基本になる、人格みたいなものは全然変わっていなくて、経験が増えて、
少しは知識が増えて、自分の欠点と戦って、少しはましになったかなーと思っても、
慣れちゃうと、その欠点はまた出てくるし、
欠点は自分がそれを欠点と自覚しなければ欠点じゃなくて。
自分がその欠点を乗り越えるとね、その欠点も気にならなくなる。

でも、その段階に来てない人は、その欠点が許せないから、
無神経さと不愉快をあたえる。

心が狭くて、人を許せないのが、真面目でいい人なのかなあ?

なんでもOKという人は、無神経なのかなあ?

私からすると、私が感じられる範囲の人は、みんな怖がって本心を出さないでいる。

もちろん、私も少し。

私は、20代に「何が本当で何が本当じゃないのかなんて、わかりっこないから
せめて自分は正直に、本音で生きよう」と決心した。

もちろん、人間は自分にさえ嘘をつくこともあることを自覚した上でね。

だから、できるだけ本音を語るようにしてきた。

言わなくてもいいことは、心に飲み込むけど、でも、いつかはさりげなく言ったりしちゃう。
そうすると揉める原因にもなりやすいので、

本音の自分を、損得を刻み付けないでも、平気でいられるように訓練したり、
むやみに腹を立てないように、自己管理を訓練したし、
泣きたい時は、泣いたし、傷ついた時は傷ついたし、
自分を吐き出しながら、自分のなりたい自分になれるよう自己訓練をし始めたんだ。


だから、飾ることが嫌いで、飾ることが苦手。

自分からは人に攻撃しない人だったけど、売られたけんかは買う人だったから
(根っこの気が強くてね。)
売られたけんかを買って、闘ってしまった時に、結局自分も悲しかったり、
ろくな事がなかったり、いい結果に終わらないことに気づき始めてね。

自分のした事は自分に返ってくるというでしょ?

戦いには戦いしか返って来ないと確認した。

私の30代は、闘わないことを学ぶ10年だったような気がするの。

難しかった。
何か攻撃をされるとね、とっさに反応するんだよね。

正直な自分を出すわけだから、出したい時には出しちゃうけどね。

私のいい所は、後でちゃんと反省するところ。

自分が攻撃してしまった事、後で振り返るんだ。
そのくり返しの中で、少しずつ、素直に戦わない自分が育ってきているんだ。
(まだまだだけどね。)

ほら、だから最近の私、ますます幸せそうなんだ。

闘わないでいられると、自分が幸せなんだよね。

(平成15年6月1日)
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2003年05月30日

学校をどう考えていたか



私が、知識欲に目覚めたのは、30過ぎてからなんだけど

子供のころからハッピーエンドが好きで、
本を読むと、ハッピーエンドではないお話では、読んだあとに
どうしたら幸せになったのだろうと考えることが好きでした。

だから、若い頃から、やっぱり子どもたちを幸せにするにはどうしたらいいんだろう
ってやっぱり考えていました。

私は本当に安上がりに出来ていて、
例えばテレビなら、電源をつけて、見たものが楽しくなって、ぐーっと集中して面白くなっちゃう子で、
だから、何でもすぐに楽しくなっちゃて、ハッピーになれる傾向にあったの。(ラッキー)

だから、学校も楽しかったー。

だけど、そうじゃなかった人たちに大人になって沢山会って、
ふーんそうなんだーッて感じなんだけど、

でも、じゃあそういう人たちと同じような性質の
(だいたい、成長が早すぎた、優秀すぎる人たちが多いみたい)

子どもたちが、学校を楽しむにはどうしたらいいんだろう。
ってずっと考えてきたんだ。

まぁ、勉強が嫌いな人達もきっとそうだったでしょうね。

勉強が嫌いな人たちは、50分間、つまらなかったでしょうね。(想像です)

私は、勉強しなかったけど(家で)、でも授業もそれはそれで、それなりに楽しかったよ。
中学生になると、寝ちゃうことも多かったけどね。
(ポリポリこれはホルモンのバランス?だって小学校の頃は眠いなんてなかったのに)

考えても忘れちゃうきっといつかボケちゃうだろう物覚えの悪い私は、
ずいぶんと忘れちゃったけど

20代の頃多分こう考えていたのだと思う。

授業を分解しちゃえばいい。と。学年もみんな。
クラスはあるけど、授業は分解して、親と一緒に選んで受ければいいんだと思ってた。

いわゆる、習熟度別ってやつ。

クラスは一日の始まりと、終わりに会える基本の仲間。

その頃から、右脳の働きについては今のような考えがもう既にあって、
勉強は一旦頭の中に入れることが大切だと思ったの。

だから、公文教育のように、テストを受けて、100点取るまで繰り返して、
100点取ったら、次へ進む形式で、

目標となる、ある程度のレベルを決めておいて、それを超えたら、学校で自由に過ごす事も可能
にすればいいと思ったの。

別に一斉に授業する必要もないし。
先生も自由に楽しい授業を企画して、

子どもたちはそれを選ぶ権利がある。(習熟度の目標を達成した子だけ)
どんどん、難しいレベルに学ぶことも自由。

目標を達成した子は、勉強しないで遊ぶことも自由。
学ぶカリキュラムは、どんどん難しいレベルまで用意しておいてね。

勉強なんて、自習で十分。
大人は質問を受ける。
そうすると個別授業にもなれる。

一斉授業は楽しい授業でなくちゃ。
わくわくドキドキ。
楽しみだなー。

そしたら、ボランティアを学校に入れて
例えば大工さんの授業とか、
お菓子屋さんの授業とか、
企画できるじゃない。

そんな楽しい授業を受けたい子は、がんばって目標のレベルを達成しようと意識的に
努力するでしょ?

書いていたら、楽しくなっちゃった。

私は、本当に自由が好きなんだ。
(自由は責任が伴うんだよ、自己責任が)

今はね、それを学生以外にも開けばいいと思う。
義務教育以外の年齢の人には、安価な料金を取ってね。

みんなが、生きることがもっともっと楽しくなるよね。

(平成15年5月30日)
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2003年05月29日

なぜ書くの?



私は、器用そうでありながら、不器用な人間です。
私たちの世代はオウム世代です。
なぜ生きるのかという問いを、ずっとしてきました。
だから、彼等が、そういう世界にはまってしまった気持も、何となく分かるのです。

生きるって何?
20代後半から30代前半まで、宗教って何だ?と、宗教関係の本を読み漁(あさ)りました。
オウム真理教の本は、道で配っていたというまんが本を貰ったことがあるらしいけど、
(えっツあげたじゃん、読んでたじゃんと言われた)
心に残らなかったんだろうね。
読んだことも貰った事も覚えていない。

私は私なりに自分の宗教観をつくり上げました。
だから、もう宗教はある程度卒業して
そういう本はあまり読まなくなったの。

簡単に言うと、私にとって宗教はこの世を語る学問です。(あの世も語るけど)
だから、学ぶことは大切です。

でも、宗教はこの世を語っているんだから、いいこと言うのが当たり前なんだから、

いいこと言っているから、この宗教は正しいと執着するものでもないです。

でも、信心は信じる心だから執着もある意味しょうがないか。

宗教と信心は違うもののような気がするな。

だから、思想も社会活動も(例えば市民運動とか)信じる心だから、
信心でちょっと宗教がかかることも仕方がないのかもしれないね。

でも、信心に執着する域まで行ってしまった人の顔は、みんな同じように、
目に表情がなくなるね。
目が一点ちょっと濁るというか、どこ見ているかわからないように見える。

ここまで行くこと(盲信すること)が大切なのか、
私のように、なんでも半分信じて半分信じない
(同時にできるのです。これも訓練です)
そういうやつの方が、柔軟なのか。

それも、よくわからないね。

でも、自分は自分の思ったとおりに生きていくつもりです。

私は、私なりの生きる意味を見つけはじめました。
だから、自分が言葉にできるようになった事を書くことで、
同じように、生きるって何だ?と考えてしまいがちな人や
不器用な人の参考になったらいいナーと思うのです。

私は自分が生きるための言い訳を探すためにいっぱい考えてきたのです。

だから、私の書いていることは、全部私自身のいいわけです。
自分への応援言葉でもあります。

「こうだといいね」は、誰かに言っているのではなく
自分に言っているのです。

自分に無理しないでがんばれぇって。

ついでに、同じような不器用な人への応援言葉になってくれたらいいナーとも
一石二鳥の好きな私はそう考えてしまうのです。
(けちでね、合理的、効果的が好きなの)

不愉快になる人、ごめんね。
でも、なんとも思わない人には関係ないってことだけど

不愉快になるとしたら、何か意味があるということなんだよ。

もっと幸せになるために
頑張ろうね。

(平成15年5月29日)
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2003年05月28日

怖がらないで



子育てにおいて、なぜ、怒らずにいられないのかと考えると、
やっぱり怖いからだと思う。
怒っておかないと、とんでもない悪い子になるんじゃないかと怖い。
私も、放任してるけど、とても怖いよ。

少年事件が起こるたびに、母親がどんな事を考えるかというと、
「自分の子が、そんな当事者になるんじゃないかと怖い」

だから、小さな悪の芽は摘んでおかないと怖い。

女性はやっぱりか弱いんだよね。
怖がらないで、
笑顔の中で育った子は笑顔になるんだよ。
怒られて育った子は、怒ることがコミュニケーションになっちゃうんだよ。

子供は確かに残酷。

男の人の本を読むとね、
猫の首をひねってみたとか、残酷な遊びがいっぱい出てくる。

女の私には信じられないけど。
でも、兄とマムシを焼いたことはあるよ。
ぐるぐる廻して、目を廻させて、缶に入れて焼いた。(平然と見てた)

行動する事で、実際にやってみることで、どんなに気持ちが悪いことかとか
罪悪感とか現実を学んでいくのではないかな?

私は、羽次郎に人は人が思うより簡単に死ぬんだということを繰り返し伝えてきた。

それがいい事か悪いことかはわからないど、(臆病になりやすいから、想像力が育ちすぎて)
たまたま押した子が、運が悪かったら机の角に頭をぶつけて死んじゃう事もある。
駅で前の人にぶつかったら、その人が押されて、電車にぶつかったら、
その人は一瞬で肉団子になってしまうことも話した。

新聞での、悪い記事も時々話すから、
「聞きたくない、どうせ悲しい記事でしょ?」
って言われちゃう。

現実は現実。
ある日突然経験しても、狼狽するだけだから、
だから、トラウマにならない程度に伝える。
さらーっと笑顔で伝える。

怖がらないで、
起きる前の恐怖ほど、無駄なものは無いんだよ。
起きてからでも、人間は十分乗り越えられる強さを与えられているよ。

知らない事は恐怖を生むの。
だから、真っ直ぐに世の中を、お母さん自身が見つめてね。
自分自身をも見つめてね。
そして、見つめたあるがままの心を子供と話し合ってね。

「お母さんはこう思うの? あなたはどう思うの?」

子供の頃から、自分の意見を考える癖をつけさせる事は大切だよ。
(意見が悪い意見でも、否定はしないでね。自由に開ける、話せることが大切なの。)

意見が違う時は、
「そうか、お母さんはこうこうこう言う理由で、こう考えるんだけど、あなたとは違うんだね。」
って解決を求めないで、違う意見のまま話し合いを終えてね。
(そこで、違う意見を尊重する経験を学ぶのだから)

言葉に出来ない子には、押し付けではなく、
こう言うときにはこう言うんだよ。とさりげなく聞かせてあげてね。
子供の教育には、解決を求めない事が一番大切なような気がします。
解決を求めるのは大人の自己満足だと思います。

明日は変わるかもしれないね、という期待感を一緒に共有することが素敵だと思います。

(平成15年5月28日)
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2003年05月27日

なぜ働いたの?



なぜ働く事を選んだのか?
私は家にいたかったよ。
ぐうたらだけど、子供を理想的に育てたかったよ。

夫が働いて欲しいと言ったから?
それが一番大きい。
私は夫の望むとおりにしていたから…。
だけど、それだけじゃない。

私の目標は、いつか人の役に立つ人間になる事で、
子供の時間の活性化のお手伝いをする事で、
子供を幸せにするには、母親が幸せにならなきゃ無理だと思っていて、

だから、働くお母さんの現状を知ってみたかったの。
10万円の給料があればいいと思っていたけど、
フルタイムで働かなきゃ、一番大変なお母さんの現状や限界はわからない。

だから、パートだったけど、フルタイムと同じように働いた。
(夫も、責任を持って働かなきゃ、社会なんて学べないという要求だった。
のらりくらりと働くだけの奥さんは要らない、そんな要求で厳しかったんだよ。
それも、地元じゃダメなの。電車に乗って外へ出なきゃ、社会を見る眼なんて育たない。って。)

もともと、責任感は強すぎる人間だから、そういう人が働くってのは厳しいんだよ。
適当に働ける人間は、上手にすいすいやっていけるけど、
責任感が強すぎる人間は、不器用で、
特に私は不器用で、両立なんて出来ない。
(30年生きてれば、自分の特徴はわかるよね。)

だから、いいお母さんは諦めたの。
働きながらお母さんをして、どんな子が育つのか、試してみる事にしたの。

妹が、栄養士の資格を持っていて、一番最低限の食事は?って聞いた。
ご飯と、野菜たっぷりの味噌汁と、納豆さえ食べてれば、完璧って言われた。

それでも、パートの時はやっぱり楽チンだった。
期待される責任が、少ないから。

やっぱり、愛する子供は捨て切れない。

でも、働き続けたおかげで、見えてきたものはたくさんあるよ。

羽次郎を見ていると、
かえって、離れたおかげで育つ自立心みたいなものを感じる。

羽次郎はインドア派で、乱暴ではないけど、強いよ。
学校の生活での劣等性だけど、だけど自立してたよ。
(自立しすぎて素直に学校のいうことを聞けないんだけどね。)
幼い子だけど、外に出たときに、真っ先に道を聞くことも出来るよ。
問題解決の為に、躊躇することなく行動する事が出来るよ。
1年生の頃からね。

私が、小さく励まし続けた事も、
羽次郎に、小さな自分との葛藤、戦いの背中を押し続けた事も、一因だと思う。

私は、彼に彼の輪郭を開かせながら(体験させながら)、
その輪郭で、小さな冒険を、小さな自分との戦いを、励まし続けたんだ。

放任主義というのは、放りっぱなしではない。
ちゃんと見ているんだよということを、確認し伝え続けなければいけないんだと思う。

大人が、子供の輪郭を探り続けなければならないと思う。

羽次郎は、私がいると、完璧に甘えてしまうんだ。
だから離れてよかったと思う。
親が働くって、ある意味、子供に自由の時間を与える事になると思うんだ。
今は、親子の距離が近すぎるからね。
(平成15年5月27日)
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2003年05月26日

おせっかい


私はおせっかいだと思う。
一人で、どんどん幸せになればいいものを
一人だけが幸せなんて、やだ。
みんな自分の人生を歩んでいて、自分のスピードで歩いているのだから、
それを尊重するのがいいんだから。
そう思うけど、
でも、みんなも幸せになって欲しい。
みんなも、人を尊重できるようになって欲しい。

多分、この考えも傲慢なんだよね。

でも、もって生まれたおせっかいな心は、治らないんだ。

何か出来ないか、何か出来ないか。
相手を尊重しながら、どう生きればいいんだろうか?

これが私のテーマ。

そのテーマに進んでいくには、もっと勉強して、
もっと考えて、もっと強く、もっとやさしく、もっと鈍感に、もっともっと単純に、
もっと横暴にならなければ、
やっぱり無理だよね。

考えれば考えるほど、迷宮に入り込んでいきそうになるよね。

夫と結婚してよかったんだと思う。(すごく悲しいけど)

私は、素直すぎて、強くて、幸せを引き寄せる力が強かったから、
真っ直ぐに幸せになっていたら、人の気持ちなんて、
自分の都合のよいようにしか見えなかったと思う。

今は、
悪いことをしてしまう人の心が、悲しみに染まっている事を、感じられるようになったから。

だからって、
精神病の域(病ではなく、心の精神病は誰でもなるんだよ。普通の人がね)までいってしまった人
と一緒にいることが、どんなに辛いことかも、初めて知ったから。

夫が私を信頼して、何処までも心の病をぶつけてきてくれたおかげで、
深い深い悲しみを知ることが出来て、
その深い深い悲しみの深さと同じ深さの幸せの存在があることも知ることが出来た。
(今も苦しいよ。一緒にいると盛り下がる。そんな悲しいことないよ。
でも、乗り越えはじめていて、不幸との共存ができている。)

悲しみを乗り越えた時には、深い喜びが待ってるの。

だから、不幸に立ち向かうんだよ。
がんばれぇッ て言ってはいけないと言うけど
でも、頑張る先には、大きな幸せが待っているからね。
問題が解決しなくても。

多分本当にあるからね。
無理はしなくてもいいんだよ。
楽チンしながら、がんばる方法を探るんだよ。
怠け者、最高 !! (自分に対する言い訳ですが…)

(平成15年5月26日)
posted by ひいらぎ at 00:00| Comment(0) | TrackBack(0) | 生きることの技術を探す | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

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